茨城県北から富士山を見る
なんちゃって格安DIYで雑草防止
コロナ渦にかまけて、ブログが縁遠くなりました。
気軽にお出かけができませんからねぇ。
オリパラ選手には何ら責任はありませんが、専門家が懸念していた通り、インド株が急激に拡大しています。感染した妊婦の入院先がなく、嬰児が亡くなった事件。自宅療養となった一家の困窮など、これが新しい時代の幕開けなのでしょうか。
飲食業などの経営、医療現場の疲弊、学校の授業のあり方、会社での業務体制など、ひたすら忍耐を強いられる人たちの声はなかなか政府に届かないようです。
一刻も早くコロナが沈静化し、日常生活が戻りますように・・・。
格安DIYで雑草防止
北側隣地との境、幅が80cm、長さは8mほどですが雑草天国です。(下写真は草むしり後です)除草シートなどで対応していますが、コロナ禍で外出もままならぬ今、モルタルで地面を固めて雑草防止することにしました。
まずは、1mくらい(適当です)の部分の雑草を抜いて、表面から5㎝くらい掘り下げました。
モルタルが後で割れないように、自作の転圧機で地面を締め固めます。転圧機はユーチューブを参考に製作しました。意外としっかりしていていい感じでした。
掘った土3にセメント1の割合で混ぜ、バサモルを作ります。
本当はセメントに砂を混ぜるのですが、格安DIYなので砂は買わず、掘った土を大きな石を取り除いた状態でそのまま転用します。
木材でL字型の枠を作り、百均の水平器で木枠の勾配をはかってから、モルタルを投入します。左官͡コテでならしましたが、モルタルを平らにするのは難しかったです。その後ジョウロでさっと散水し、1時間後たっぷり水をまきます。なお、左側には排水用の溝を設けました。
10日後、最初の区画が十分に固まったら、同様に次の区画も施工します。手前は次区画の土を掘り起こしたため、汚れています。
エアコンの室外機の下は、バサモルではなく、水を混ぜて練り上げたモルタルで施工してみました。土の中からはけっこう大きな石がでてきました。
それぞれの区画の色が違うのは、セメントと土の混ぜる量が目分量で適当なため。でも、なんちゃってDIYなので除草目的が達成されれば平気です。排水溝には土の中からでてきた石を詰めました。
最後に風呂用ボイラーのパイプ類が敷設された部分をモルタルで固めます。
はい、約2か月をかけて全区画が完成しました。
バサモルは固まるのに1区画約10日をかけ(モルタルは3~4日程度)、また気分次第で午後から作業したりと、のんびりした格安DIYでした。
よく見ると傾斜がうまくついておらず、少し水が溜まる部分がありますが、普段は通行しない箇所なので許容範囲です。
ちなみに、費用はセメント25㎏を3袋で約1,100円でした。モルタルを捏ねるトロ船、左官クワ、左官コテは、ホームセンターで4千円弱だったと思います。
知覧城~ 続日本100名城 #198
志布志と同様、薩摩藩の外城の一つとされる知覧は、麓(ふもと)の武家屋敷群が観光名所として有名です。また、中世城郭としての知覧城は、規模も大きく、保存状態も良好で、見応えがありました。
知覧城
ミュージアム知覧のパンフレットによると、「知覧城は、島津氏庶流の佐多氏の拠点として、中世後期に築かれた天険の城で、南九州を代表する中世山城」で、「標高170mのシラス台地を刻む浸食谷を利用して、大きく2群の曲輪と周辺の屋敷群からなる」城ということです。(下は本丸跡に建つ石柱)
上空からの全景(上記パンフレットより)
シラス台地が浸食され、いくつもの曲輪になっています。中央の大空堀を挟んで2つの曲輪群に分かれているのが分かります。
縄張り図(上記パンフレットより)
中央下の駐車場から時計回りに空堀を進み、蔵之城と本丸まで番号順に進みました。
①本丸口
主郭曲輪群の入口であり、木戸が設けられていたのではないか?と思われます。
②今城(右上)南空堀
搦手口へ抜ける空堀。両側の崖も急こう配です。
③本丸・蔵之城、今城、弓場城へ続く空堀
曲輪と空堀が複雑に交わっており、寄せ手は迷路に入り込んだ気分になります。
④本丸・蔵之城の虎口
⑤虎口の枡形(奥)
主要郭の入口だけに、進路は左折れの枡形で、防御力を高めています。
⑥蔵之城の虎口
曲輪の虎口も急坂で、下からは攻めにくく、上から防御しやすい構造です。
⑦蔵之城の郭内
本丸と対になっており、名称からして、食料や武器を備蓄した曲輪と思われます。
⑧本丸虎口
登りきると、本丸は見た感じ300坪くらいはありそうで、知覧城の石碑(冒頭写真)が建っています。
シラス台地をうまく活用した天然の縄張りが見どころです。本丸下に無料駐車場があり、案内板の設置や登城路の草刈りなど、城域はよく整備されており、気持ちよく見学ができます。また、やぶ蚊もほとんどいませんでした。
時間がなくて、周囲の曲輪や屋敷群まで足を伸ばせなかったが、また機会があれば半日くらいかけて、じっくり散策したい城です。
志布志城~ 続日本100名城 #197
志布志城
前川の河口、シラス台地の先端にある内城、松尾城、高城、新城の4つの中世山城の総称です。正確な築城年は不明ですが、南北朝時代には内城と松尾城が存在していたそうで、古くからこの地が重要拠点だったことが分かります。
当初は、肝付氏や楡井氏など有力土豪が築城したものと思われます。やがて島津氏が支配し、江戸時代には薩摩藩の外城の一つとして位置づけられました。
内城の縄張り図
規模が大きく、遺構がよく残されている「内城」を登城しましたが、やぶ蚊の大軍と夏草に阻まれ、本丸である「曲輪3」までの赤線ルートのみを踏破しました。
内城の復元模型
車で15分程度離れた志布志市埋蔵文化センターに展示されています。ちなみに、女性の係員の方が志布志城の歴史について詳しく解説してくれました。(曲輪名は当方記入)
(1) 大手口
看板がなければ見落としてしまいそうな場所です。
(2) 城門跡?
案内柱があります。縄張り図の曲輪7と曲輪8の間の堀切登城道と思われます。
(3) 曲輪3下段下の登城道
結構、急な坂道で歩きづらかったです。山城であることを痛感します。
(4) 曲輪2下段下の登城道
狭い急斜面の登城道で、侵入した敵は、曲輪2上段(右上)と曲輪3下段(左上)から攻撃を受けることになります。
(5) 城門跡?
(4) 登城道の先、城門跡と思しき場所。本丸である曲輪3へは先を左折します。
曲輪3下段の虎口
曲輪3下段
本丸防御の中心。市街地や港を一望でき、当時は物見やぐらがあった所です。
曲輪3下段からの展望
曲輪3上段
曲輪3に繋がり、内城の本丸にあたります。
城門跡?
曲輪3(本丸)から搦手方面に向う堀切道か?
空堀1
曲輪2上段・下段(画面左上)の崖下にあり、搦手口へ抜けることができます。
曲輪10
空堀1から東側にある曲輪10。夏草に覆われ、入ることができません。
矢倉場(曲輪1)
武器庫や防御の建物が建っていました。
【感想】
大規模な山城です。シラス台地を掘り下げ、何段もの曲輪と空堀を設けていました。復元模型を見ると、縄張りの妙を感じることができます。曲輪3上段(本丸)までの登城道は比較的整備され、空堀や土塁も比較的よく残っています。ただ、夏場は防虫スプレー必須です。
鹿児島城~ 日本100名城 #97
GO TO トラベルを利用して、鹿児島県へ出かけしました。
地元の方に迷惑がかからないよう、レンタカーを利用し、三密を避けて行動です。
鹿児島城
鹿児島県は、江戸時代77万石の大大名、薩摩藩島津氏が治めていました。
しかし、その居城、鹿児島城は1万石あるいは陣屋程度の規模しかありません。諸説を見ると、関ヶ原で負けた徳川幕府に遠慮したとか、守備より攻撃を重視していたためとも言われますが、「外城制度」が大きく影響していると思います。
島津氏は領地が大幅に削減された後も武士の数を減らさず、領内の古い山城の近くに郷士と呼ばれる武士集団を定住させました。これを外城と言いますが、なんと領内に113か所もあったようです。いざとなれば、各地の郷士が山城に籠り、敵の攻撃を分散させ、食い止める仕掛けです。
まあ、薩摩藩全体が城のようなものでしょうか。
領内に点在した武家屋敷群は「麓(ふもと)」と呼ばれますが、それが今、観光名所になっている訳ですね。
縄張り図
主郭は本丸と二の丸で、背後に廃城となった旧上山城がありますが、城としての整備はされていなかったようです。
明治初期の鹿児島城写真
右の櫓門が本丸の御楼門です。これが名城なの?と思ってしまいますね。
本丸石垣と水堀
本丸の石垣もさほど高くなく、水堀の幅も大大名のものとは思えません。
本丸枡形
御楼門正面の石垣には西南戦争での銃痕が多く残されています。
本丸内
現在、県立歴史・美術センター「黎明館」になっています。
私学校跡
西郷隆盛が設立した陸軍士官養成のための学校。鹿児島城本丸の真横、厩曲輪にあった。
城山登り口
城山から望む桜島
雄大さに圧倒されます。しかし西郷とはいえ、幕藩時代には居城を見下すことはできなかったでしょう。
西郷像
二の丸道端に西郷隆盛像があります。また、車で10分くらい走ると西郷生家跡や大久保生家跡もありますが、石碑があるだけの普通の公園でした。
なお、鹿児島県の外城のうち、志布志と知覧が「続日本100名城」に指定されていますので、別編でご紹介します。
鹿児島郷土料理
GO TO クーポンを使って、贅沢に郷土料理コースをいただきました。とりわけ、六白黒豚のしゃぶ鍋の出汁が美味しかったです。焼酎もね。
ホテルで聞いたお勧めの店は「こむらさき」でした。キャベツの千切りたっぷり、とんこつなのにあっさりスープで、美味しかったです。
鹿児島観光、2泊3日では足りません。
飫肥城~ 日本100名城 #96
GO TO トラベルを利用して、鹿児島県へ出かけしました。
地元の方に迷惑がかからないよう、レンタカーを利用し、三密を避けて行動です。
ここは、宮崎県日南市になります。
江戸時代は飫肥藩伊東氏5万1千石の居城でした。伊東氏は、有名な「曽我兄弟の仇討」の敵役、工藤祐経の子孫です。
祐経の嫡男、祐時が鎌倉幕府から日向の地頭職を得たことから、当地に勢力を伸ばしました。戦国期には島津氏に国を追われますが、豊臣秀吉に仕えたことで旧領を回復しました。関ヶ原の戦いでは上手く立ち回り、明治維新まで14代続きました。
縄張り図
主郭は割とこじんまりしていますが、その北部には防備のための曲輪を配しており、南に城下町が広がっていました。
大手門から新本丸へ向かう石垣と白塀
新本丸枡形
本丸内より撮影。正面が本丸門跡、左が大手門方面ですが、石垣を含めて、さほど高さはないので、肩車でも容易に越えられそうな気がします。
犬の馬場から本丸へ続く門跡
本丸は現在、歴史資料館があるほか、飫肥小学校になっています。
旧本丸へ続く坂道
もともと一段高い旧本丸に御殿がありましたが、度重なる地震の地割れにより、新本丸に移転したようです。
旧本丸枡形
旧本丸北門
旧本丸内より撮影。門を抜けると急斜面の崖であり、急坂を下ると、西ノ丸や北ノ丸などの曲輪に続いていました。現在は飫肥中学校および市街地となっています。
なお、飫肥は観光に注力しており、街並みがよく整備されています。大手門近くに無料駐車場もあり、武家屋敷など見どころも多いです。
名物「おび天」と「厚焼卵」
飫肥名物のおび天は、形はさつま揚げに似ていますが、はんぺんに近い柔らかな食感で甘みがあります。沢がにをすり潰して味噌汁仕立てにした「かに巻き汁」など郷土料理をいただきました。「おび天定食(松)1,500円」おび天蔵にて。
また、殿様に献上したという厚焼卵は表面がツルツル。固めのプリンのような舌ざわりでお菓子のよう。いわゆる卵焼きとは違う初めての味でした。美味しかったです。
あゆみちゃんマップ
街歩きに便利です。800円でクーポンが5枚ついていて、1枚で1品、参加店で食べ物や物産品がもらえます。
飫肥城だけでなく、街歩きや名物料理を楽しむことができ、半日ゆっくり散歩したい街でした。
コロナに負けるな!GO TO トラベル、利用しました。
コロナ禍で海外へのお出かけは当面無理ですねェ~。
コロナに負けるな!頑張れ、日本・・・ということで、
GO TO トラベルを使って鹿児島に行ってきました。
「変なホテル」に前泊
前にテレビで紹介され、一度泊まってみたかったんですよ。フロントは恐竜と人型ロボットが対応してます。部屋は普通のビジネスホテルより広く、衣類乾燥機もあって使いやすかったです。
早朝(6:25)便で出発。
鹿児島着8時15分なので、一日を有効に使えます。
空港でレンタカーを借りました。地元の人たちへ配慮し、食事とホテルを除いて三密を避ける作戦です。
まずは、6世紀に創建されたという歴史あるパワスポ。JR日豊本線に「霧島神宮駅」がありますが、そこから6~7kmあるでしょうか。車でなけりゃ大変です。さらに、駐車場から神宮までけっこうな距離がありました。
参拝を済ませ、宮崎県日南市へ向かいます。100㎞、約2時間のドライブでした。日本100名城の飫肥城を見て城下町を散策。飫肥は観光に力を入れているようで、街並みはきれいに整備されていました。
厚焼卵
町あるきクーポン(800円)を使うと、食べ物やグッズをゲットできます。昔、殿様に献上された厚焼卵は、甘くてプリンの様な舌ざわりで、ここでしか味わえません。ほかに、地元メーカーの醤油ミニボトルや押し寿司をいただきました。
おび天
飫肥の名物で有名なのが「おび天」です。見た目はさつま揚げのようですが、はんぺんのようにフワフワで甘みがあります。ランチは「おび天定食」をいただきました。
志布志城
昼食後、車で1時間ほど走って志布志市へ。江戸時代、薩摩藩は領内各地に「麓(ふもと)」という武士団集落をつくり、守備の拠点にしました。これを外城制度といいます。志布志も中世山城を抱えた外城の一つです。
鹿児島郷土料理
鹿児島市内に戻って、夕食は郷土料理のコース。きびなご刺身、地鶏の刺身、かつおたたき、さつま揚げ、黒豚角煮、黒豚のしゃぶ鍋、さつま汁など。GO TO クーポンのおかげで豪華に頂きましたよ。
知覧城
知覧も薩摩藩の外城の一つですが、整備された武家屋敷群も見応えがあります。また、特攻基地の町としても有名ですね。
特攻平和会館
言わずもがな、ですね。展示された手紙や遺書を読むと、若い兵士の純粋な気持ちが伝わってきます。
全国有数の茶葉の産地としても有名です。周辺に茶畑が広がり、知覧のお店では抹茶料理、抹茶ソフトなどが味わえます。喫茶店で飲んだ煎茶セットが美味しかった。
鰹船人めし
2日目のランチは、鰹節生産日本一の枕崎市です。また、JR枕崎駅は日本最南端の終着駅です。ここの名物「鰹船人めし」は、カツオの刺身に熱いだし汁をかけた漁師飯。
新鮮なカツオは臭みもなく、口に旨味があふれます。かつお丼も美味でした。
昼食後、薩摩酒造の明治蔵を見学して指宿へ向かう。途中、江戸時代、日本地図を作った伊能忠敬も讃えたという、番所鼻から見た開聞岳。観光客は少なかったが、やはり素晴らしい風景だと思います。
その後、指宿温泉で砂蒸し風呂(タオル代込@1,300円)撮影不可)を体験して鹿児島市内ホテルへ。
鹿児島城
鹿児島城は、外様大名第二の石高を誇った薩摩藩島津家の居城です。領内に100以上の外城を配置したためか、本城である鹿児島城は天守閣もなく、こじんまりしています。2020年本丸正門の「御楼門」が復元されました。西南戦争で西郷が最後に籠った城山に登ると、桜島の威容が目に飛び込んできました。西郷隆盛や大久保利通の生家跡は公園になっています。
昼食は、地元の人も薦める「こむらさき」のラーメン。きざみキャベツがたっぷりで、豚骨なのにスープはあっさりでした。旨かったです。
当初計画していた「都井岬」、「鹿屋」や「佐多岬」。桜島を間近で見れる「フェリー」には乗船できませんでした。やはり、じっくり観光するには、あと2泊くらいは必要ですね。
GO TO トラベルのおかげで、ホテル2泊、往復航空運賃、レンタカー込みで1人あたり22,000円(食事等は別)で済みました。
100名城めぐりも少しは前進しました。
今回訪問した4城については、別途ご紹介します。