志布志城~ 続日本100名城 #197
志布志城
前川の河口、シラス台地の先端にある内城、松尾城、高城、新城の4つの中世山城の総称です。正確な築城年は不明ですが、南北朝時代には内城と松尾城が存在していたそうで、古くからこの地が重要拠点だったことが分かります。
当初は、肝付氏や楡井氏など有力土豪が築城したものと思われます。やがて島津氏が支配し、江戸時代には薩摩藩の外城の一つとして位置づけられました。
内城の縄張り図
規模が大きく、遺構がよく残されている「内城」を登城しましたが、やぶ蚊の大軍と夏草に阻まれ、本丸である「曲輪3」までの赤線ルートのみを踏破しました。
内城の復元模型
車で15分程度離れた志布志市埋蔵文化センターに展示されています。ちなみに、女性の係員の方が志布志城の歴史について詳しく解説してくれました。(曲輪名は当方記入)
(1) 大手口
看板がなければ見落としてしまいそうな場所です。
(2) 城門跡?
案内柱があります。縄張り図の曲輪7と曲輪8の間の堀切登城道と思われます。
(3) 曲輪3下段下の登城道
結構、急な坂道で歩きづらかったです。山城であることを痛感します。
(4) 曲輪2下段下の登城道
狭い急斜面の登城道で、侵入した敵は、曲輪2上段(右上)と曲輪3下段(左上)から攻撃を受けることになります。
(5) 城門跡?
(4) 登城道の先、城門跡と思しき場所。本丸である曲輪3へは先を左折します。
曲輪3下段の虎口
曲輪3下段
本丸防御の中心。市街地や港を一望でき、当時は物見やぐらがあった所です。
曲輪3下段からの展望
曲輪3上段
曲輪3に繋がり、内城の本丸にあたります。
城門跡?
曲輪3(本丸)から搦手方面に向う堀切道か?
空堀1
曲輪2上段・下段(画面左上)の崖下にあり、搦手口へ抜けることができます。
曲輪10
空堀1から東側にある曲輪10。夏草に覆われ、入ることができません。
矢倉場(曲輪1)
武器庫や防御の建物が建っていました。
【感想】
大規模な山城です。シラス台地を掘り下げ、何段もの曲輪と空堀を設けていました。復元模型を見ると、縄張りの妙を感じることができます。曲輪3上段(本丸)までの登城道は比較的整備され、空堀や土塁も比較的よく残っています。ただ、夏場は防虫スプレー必須です。