水戸城
石垣がなく、崖と堀切を巧みに用いており、土の城と言われています。
縄張りは、戦国末期、佐竹氏が大改修したものがベースとなっており、
本丸表門だったと言われる「薬医門」(上写真)は佐竹氏の創建と言われている。
10.5haという全国一の規模を誇る藩校で、天文学や医学まで教えた総合大学でした。
三の丸の空堀
大手橋
三の丸と二の丸の間の深い切掘。石垣がなくともこの高さの崖は登れません。
大手門
現在、大手門の復元工事が進んでおり、下写真のような姿が見られる予定です。
在りし日の大手門。この先に二の丸御殿があり、藩政の中心でした。
二の丸御殿の復元模型。写真手前が本丸です。
三階櫓
外観三層・内部五階の物見櫓ですが、石垣がなくナマコ壁が個性的です。
二の丸内にありましたが太平洋戦争の空襲により焼失しました。
二の丸跡より北方(那珂川)を見下ろす。
樹齢400年の大椎
二の丸跡に残る椎の木。水戸城築城の時からあったと思われます。
本丸(御本所)堀切
本丸の堀切にJR水郡線が走ります。江戸時代、本丸は倉庫として使われたようです。
本丸虎口
二の丸と本丸を結ぶ本所橋を渡ると土塁に守られた虎口跡です。本丸は現在「水戸第一高等学校」の敷地となっており、この先に「薬医門」があります。
また、天狗書生の乱や太平洋戦争の空襲等でほとんどの建物が焼失。
現存しているのは、「薬医門」や「弘道館正庁や正門」など少ないです。
でも、深い堀切を見ると、人力で掘り進めたパワーには驚かされます。